準備が終わらないと何かを始められないと思っている人への最終回答
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どーも、榊原(@ms_rebirthink)です。
何かをやろうとした時に、
事前に準備する派と、とりあえずやってみる派がいると思います。
ぼくは大抵のことは後者だと思っていて、
走りながら準備する、場数をこなすことでPDCAを高速でまわす、
などなど、色々な論拠があります。
んで、その類の議論においては、最近見たこの記事がすごい。
うまく言語してて尊敬。
こういう記事を書けるようになりたい。
百備は一試にしかず
こんな言葉ないんですが、百聞は一見にしかず、にならって
作ってみました。
どんなに準備をしても、試してみることに勝ることはないんですよね。
もちろん準備は重要だが、打席に立つチャンスがあるのに立たない理由はない。
どんなに頭が良くてどんなに情報をインプットしても、やってみなきゃわからない。
バッターボックスの外からどんなに雄弁に分析できても、実際バッターボックスに入って見える風景は別世界だ。
バッターボックスに入って体験する「カーブってこんな曲がるの!?!?!?」という衝撃は、相手がどのタイミングでカーブを投げてくるかより圧倒的に重要な情報なのだ。
そうそう、これなんですよ。
いくら最近の若者のニーズを調査して分析しようとも、
若者向けのサービスを1つリリースして、
そこから得られるフィードバックのほうが
よっぽど有益なんです。
ぼくは教職免許を持っているわけでもないし、
教えるプロではないけれども、教壇に立って
授業をやらせていただく中で、
子供たちに伝えたいことを伝えるためには
前提の課題がいくつかあるな、と思うわけです。
ずっと関係性を持つことだったり、
親や教師たちとの考え方の乖離を解消しないと
子供たちはかえって混乱する、とかね。
これは実際に授業してみないとみえてこないわけです。
せっせこ教材作ってシミュレーションすることも大事なんですが、
打席に立つからこそ見えてくることが超大事だったりします。
打率よりヒット数
イチローが先日、日米通算でピート・ローズを抜くヒット数を記録しました。
シーズンを通した戦いでは、打率を見られる。でも、面白いことに語られる記録は打率よりもヒット数だ。イチローは確かに打率もいいほうだが、語られるのはヒット数。人生においても打率の問題ではない。ヒット数だ。
たぶん、イチローの通算打率を知っている人は、
ファンでもない限りほとんどいないんじゃないかな。
打率は一時的には話題になるけれど、
その人物の全体像を語る時には、ヒット数が語られるんです。
エジソンだって、「何を発明したか」だけ残りますよね。
ピカソのような芸術家だって、「語り継がれる絵」だけ残ってる。
エジソンやピカソは、自身が生み出したものの数十倍、数百倍の
ものを作り出したわけです。
つまり、打率は低いかもしれないけれど、”ヒット数”は多いんです。
これが、イチローになるまで打席に立たないマインドだったら
打率こそ高いかもしれないが、ヒット数は少なかったでしょう。
もしくはヒットが打てたかもわからない。
短期的には、打率で評価されがちだから、
成功する確率に支配されちゃうんでしょうね。
最後に
やっぱり最後は教育に帰結するんですが、
打率よりもヒット数を大切にする
教育を取り入れていかないと
打率に支配されてバッターボックスに立てない
大人ばかりが増えてしまいますからね。。。
準備を重ねることを否定しているわけではなく、
試した上で出てきた課題を認識した上で準備を進めた方が、
準備の質も上がるはずなんですよね。
短期的には打率かもしれないけど、長期的に見ると
ヒット数なんだから、目先のことに惑わされないようにしよう!
というわけで、何かを始めたいけどまず準備!
と考えている人への最終回答は、コレでいいんじゃないかなぁ。
さて、それでは今回はこのへんでー!
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★逃げることは悪いことじゃない。高校・大学両方を中退した僕が伝えたいこと。
another lifeさんからの取材記事
★高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話
STORYSに自伝書きました