セミナーは再現性が全て
2016/01/26
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先週の土日のちゅうつね学園祭に参加して、改めて思ったことを書いてみる。
土曜は登壇し、日曜は参加者として楽しんだ。
まずは写真から!
企画、設営、集客と、学園祭をイチから作り上げた実行委員!
テーマはコレ
実は、この日が初めましてなHPLコンサルティンググループ代表の金田えりかさん
自分の出番までは、仲間のセミナーとかワークショップに参加。
自分のセミナーは、友人が作ったカクテル飲みながら。
わざわざご足労いただいた友人たちとパシャリ。
セミナーはこうして撮影されてます。しゅーる…
3ショット撮ることになり、パチリ。
自宅に飾ってます。
日曜は参加者として。
打ち上げ!
すごく盛り上がり、楽しい学園祭でした。
こうした催し物の成功の定義を、集客数とするならば、成功か?と言われたら微妙かもしれない。
ただ、セミナーにしろワークショップにしろ、参加した人にどういった変化が現れるかが、成功か否かの定義だと思ってる。
そういう尺度で測るならば、このちゅうつね学園祭は成功だろう。
常々思っているんだが、再現性がなければ、受け手に変化が訪れることはない。
例えば、雇われる働き方から、自由な働き方を手に入れたとする。
でもそれは、誰もが知る有名大学、大企業のブランドがあったから自由が手に入ったとしたら?
まとまった資金が予めあったから手に入ったとしたら?
聴き手にとっては、自分事ではなくなる。
「あぁ、○○社に入れたからできたんだ、お金があったからできたんだ」
こう思ってしまう。
そんなつもりで聞かないで欲しい!って登壇する側は思うかもしれない。
でも仕方ないんですよ。
嫌いな食べ物が目の前に出てきて残そうとした時、「○○の国では、食べたくても食べられない人もいるんだぞ!」って説教受けたとしても、響かないでしょう。
それと同じ。
前提条件が異なりすぎると、自分事とは感じられず、心がブロックしてしまう。
仮に受け手の大半がそれを感じてしまうんだとしたら、1000人集客できても、そのセミナーは失敗でしょう。
そのセミナーが背中を押されるキッカケになった人が1%居たとして10人。
だったら、50人しか集客できていないけど、半分(25人)の人が背中を押されるキッカケができたなら、そっちのほうが成功と言える。
だから私は冒頭で「学歴も社歴も金もコネもなかったからこそ、誰でもできる再現性がある」と発言した。
そういった、○○がないからできない、という機会損失を失くすために。
何か自分を変えたい時って、ほんの少しの行動力と、自分にもできんじゃね?っていう根拠の無い自信があればいい。
セミナーで話をする側が偉くて、聞く側は(言葉悪いけど)下っていう雰囲気があることが多いのが大嫌い。
だから「良い話だった」で終わってしまい、自分ごととして受け止めれず、今後に繋がらない。
そういう意味では、私が所属していたオンラインサロンでも同じことが言える。
毎回外部からセミナー講師を連れてこなくても、所属しているメンバーの強みをセミナーやワークショップ形式にすればいいのになー、て思う。
話す、伝えるアウトプットと、書くアウトプットは違うわけで、異なる2つのアウトプットがサロン内で高められるならば、めちゃくちゃ稀有なコミュニティになるし、自分もああいう場に立とう、と憧憬の日が灯る。
ちなみに、私は、ちゅうつねメンバーが立ち上げた「鉄板」が、そういったメンバーの強みを他のメンバーにワークショップやセミナー形式で提供できるコミュニティで、メンバー間で濃い学びの場を定期的にもっています。
むしろ、鉄板とちゅうつねがコラボすれば色々おもしろいこと起きるのになー、と思ってる今日このごろ。
相手の心に残す何かが伝えられるか否かは、有名・有名じゃないってのは関係ないな、と「ちゅうつね学園祭」に参加して改めて思った。
私のセミナーの様子を、友人が実況中継してたら、それがはあちゅうさんに拾われ、少しだけバズって嬉しかった!!
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★逃げることは悪いことじゃない。高校・大学両方を中退した僕が伝えたいこと。
another lifeさんからの取材記事
★高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話
STORYSに自伝書きました