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寂しがりやのぼくが学生時代の同級生と会わない理由

   


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どーも、榊原(@ms_rebirthink)です。

Facebookがある今の世の中では、
学生時代のクラスメイトと繋がることも簡単にでき、
距離が離れててもお互いの近況が
わかりやすくなりましたよね。

まぁぼくはというと、
一時期繋がりはしたし、会ってみたい人には
会ってるけど、最近はめっきり会わなくなりました。。。

自分のモノサシで勝手に判断される

学生時代のぼくはゲーマーでコミュ症だったので、
いじめにもあったし、不登校にもなったし、
その状態で学校のマドンナに告白して玉砕して
それを学校中に言いふらされたりとか、
なかなかカオスな過ごし方でした。

その後は高校と大学を中退したんで、
レールから思いっきり外れたように見えていたでしょう。

そういうのもあり、ぼくと会う同級生の人は
言葉選ばずに言うとなめてるんですよね。

仕事とか交友関係とか、きっとこうなんだろう、と
勝手に推測した上で接してきます。

ハッキリ言って、それがイラッとくるんです。

たしかに学生時代のぼくは友達もすんごく少なかったし、
ゲームばっかりして学校の成績もふつうぐらいだったけど、
それで勝手に今の自分を決めつけられるのは心外。

そういう人って、ぼくの近況を聞くと黙り込んでしまう。
自分で教育関連の事業を立ち上げていて、
資金面のためにAmazonで仕事をしているというと、
「…」
みたいな。

別に自慢するように話してるわけじゃないし、
ぼくよりも優秀な人、すごい人が、
ぼくの周りにはたくさんいるから、
むしろまだこの位置にいる自分が情けないレベル。

きっと想定していた状況と違ったせいか、
だんまりになってしまう。
これは交友関係も同じ。

そしてそこに共通するのは、
自分から変化していく姿勢だったり、
競争社会の中で上にあがりたい、
もっと高みを目指したい、というのがない。

もちろんそういう生き方もあるし、
それが幸せならそうすればいいだけで、
ぼくが目指している方向性とは違う。

なんだけど、そういった価値観に
まとめられてしまうから話も合わない。

何かを判断した後の言動が大切

たしかにぼくは、いじめを経験して不登校にもなったし、
高校の授業に違和感を感じて退学したし、
1つ1つの行動の結果だけ見れば、
なんでそんな判断をしたんだ…と思われることもあるだろう。

ただぼくが常々思ってるのは、
どういう判断をしたかよりも、
判断した後の言動のほうがはるかに大切
だということ。

ぼくの場合は、世間的にみると
いいように思えない判断を取った後の言動がよかったんだろう。

いじめや不登校を経験したことで、他人の心の痛みを理解してあげられるし、
高校や大学を中退したことで、様々な経験をすることができた。

そういう積み重ねが、ぼくの天職である教育事業のルーツとなっていて、今に至る。

そうなると、まわりの評価は変わる。
「中卒なのに、やりたいことができていてすごいね」と。

逆にぼくがやりたいこともなく、仕事もせず適当に生きていたとしたら
「高校や大学を中退するからそんなことになるんだ」
と言われるんですよ。

判断したことは同じなのに、
その後どういった行動を取るかによって、
自分自身も、周りの評価も全く変わってくる。

これは東大に合格すること、どこかの企業に就職すること、
すべて当てはまる。

どこに行くことにしたか(判断したか)よりも、
そこで何をしたか、成し遂げたかのほうがはるかに大切。

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最後に

どういう判断をしたかだけで人を見ると、
「きっと○○はこうなったんだろう」と推測することになる。

何を判断したかだけで決めつけることは意味のないことなのに。

人間は自分のモノサシで人を判断する生き物ってのもあるんだろう。
ただ、ぼくはそういう理由で、同級生たちとは会わなくなった。

学生時代からの繋がりって大切だのどうだの言われますが、
全然そんなことないし、自分のステージに合わせて柔軟に変えていけばいいですよ。

さて、それでは今回はこのへんでー!

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