1年の振り返りは日常のありがたさに気づくキッカケ
2016/01/26
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こんにちは。
2015年の振り返り記事を4回に分けて書いたら、
日常のありがたさに改めて気づいた榊原(@ms_rebirthink)です。
過去を振り返るって、やる人もいればやらない人もいる。
そんなわたしも、過去はあまり振り返らないほうで、
なるようになるさ!だったりする。
でも、振り返りをしてみて思ったことがあるので、
今日はそれについて。
非日常だけじゃなく、日常も意識できる
たとえば、災害が起きるとか、
誰かが亡くなるとか、結婚するとか、
そういう “非日常” なことって、
すごく記憶に残るんですけど、
友人と遊んだ、美味しいものを食べた
行きたいところへ行った、ということって、
人にもよるけど、そんなに特別なことではないんですよね。
なんとなく楽しかったな、充実してたな、と
思うんだけど、あくまで、なんとなく。
それが写真や出来事で振り返ると、
その時の想い出が感情とセットでよみがえる気がします。
つまり、日常を意識できるんですよ。
これって、たまには大事なんじゃないか?と思うんですよ。
日常のありがたみに気づくと1日1日の過ごし方が変わる
たとえば
- 忙しい友人が時間を作ってくれた
- なかなか予約が取れないところへ行けた
- 誕生日にこんなものもらった
なんでもいいと思うんですよ。
もともと、この国には、一人で何かを成し遂げることを
美徳だと感じやすい価値観が備わっている。
もちろん、それはそれで良いことなんだけど、
自分がやりたいことや夢を実現させるためには、
仲間だったり、周りの力が最後のひと押しになることが多い。
自分の1年を振り返って、あぁ、これ楽しかったな、
というものは、楽しいと結論づけるに至った要因があるはず。
その要因は、大抵、身近な友人だったり、仲間だったりすることが
多いんじゃないか?
手先が器用な人は、自分のことを特別器用と思わないように、
自分の強み、特徴って、自分では普通のことだと思ってる。
だから、そんな大事な日常を過ごせていることも、
自分では普通のことだと思ってしまう。
たまに、写真や文章といっしょに振り返ってあげることで、
日常のありがたさに気づくキッカケになるんじゃないかな。
さて、今日はこの辺で!
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★逃げることは悪いことじゃない。高校・大学両方を中退した僕が伝えたいこと。
another lifeさんからの取材記事
★高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話
STORYSに自伝書きました