「好き」という感情を否定する権利は誰にもない
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どーも、榊原(@ms_rebirthink)です。
変に悟りをひらいている人のツイートが
先日タイムラインに流れてきたので
見てみたら、すごい違和感…。
リツイートの数が4桁ほどだったので、
さらに違和感…。
というわけで、せめてもの癒やしに
アイキャッチ画像は、最近気になる
たけべともこさんにしてみました。
「好き」の基準ってあるの?
「本屋が好き!」って声高に言う人ほど、がっかりするくらい本を読んでないというか、カルマが足りないひとが多い現象。いい加減、どうにかなりませんかね。。ぼくが、世界に期待しなければ、それでいいのかな……。
— 武田 俊 (@stakeda) 2016年4月3日
ホント、残念なことにそれは本に限らず言えることで、自称映画好きに限ってぜんぜん映画観てないし、自称音楽好きに限ってぜんぜん音楽聴いてない。自分にはまだまだ知らないものがいかにたくさんあるかを自覚して絶望している人は、不用意に「○○好き」なんて言えないはずなんだよね。>RT
— Koji Takahashi (@tkhs1968) 2016年4月3日
なんかもうね、これが共感されるんだとしたら
すごい時代だなぁ、と。
じゃあ、どこまでいけば好きって言えるんでしょうか。
毎週1冊書店で本を買って読めば、
「私は本屋が好きです」って言っていいんですかね?
2週間に1冊だと「少し好き」程度でしょうか?
…違いますよね。
人によって好きの基準は当然違う。
気軽に好きだと言えないってことは、
自分の感情に正直ではないということ。
仙人のように生きるならそれも結構。
ただ、ふつうの人には、仮面をかぶった人生は
苦痛なことが多いんですよ。
仕事にも影響出るし。
そもそも、自分と全く関係ない他人が、
何を好きだと言おうが、どーでもいいじゃないですか。
そんなにハードルをあげて、誰得なんでしょう?
「論理」は否定できるけど「感情」は否定できない
たとえば「お肉は身体にいい」という
論理的な話になると、栄養学や他の学問、論文などから
いくらでも突っ込みを入れられるわけです。
これが「わたしはお肉が好きです」となるとどうか?
否定できないですよね。
何をどうやっても否定することはできないんですよ。
「あなたはお肉が好きではない!」と
証明することは不可能なんです。
感情は、人に伝えることはできます。
だから、あぁ、この人はお肉好きなんだな、
本が好きなんだな、女の子が好きなんだな、と
言葉や態度で伝えることはできる。
ただ、相手が「わたしは○○が好きです」
と宣言したものに対して
“否定”することは不可能だし、
誰にもそんな権利はない。
最後に
もっと気軽に好きって言える世の中でいいと思うんですよ。
自分の気持ちに正直でいることが、
やりたいことを見つける上で超大事だし、
それが仕事や将来の夢に繋がっていくわけです。
こういう一種の同調圧力って、
教育上非常によろしくないので、
堂々とディスらせてもらいました。
こちらからは以上です。
さて、それでは今回はこのへんでー!
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★逃げることは悪いことじゃない。高校・大学両方を中退した僕が伝えたいこと。
another lifeさんからの取材記事
★高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話
STORYSに自伝書きました