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えらい人、すごい人ほど、えこひいきが激しい理由

   


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どーも、榊原(@ms_rebirthink)です。

20代の頃は、いわゆるすごい人、えらい人と呼ばれている人って、
他者に対して平等で公平で、それこそ聖人君子みたいなイメージを持ってました。

んでも、30歳になり、そういうすごい人たちと
仕事だったりプライベートで関わるようになって、
いい意味で、そんなことないんだなと気付けたので
ここで言語化しておきます。

えらい人、すごい人は”見せ方”がうまい

先日のはあちゅうさんのつぶやきが完全同意。

そうなんですよね。
だから、ぼくが前に思ってた感覚もある意味正しいわけです。

外からどう見えるのか、”見せ方”をすごく工夫してるからこそ、
不必要に波風が立たない
んですよね。

すごい人やえらい人は、関わる人たちも多いのに時間がないので、
全員に同じだけ時間かけてたら、人生がいくつあっても足りないわけですよ。

だからこそ、時間を使うべき人をちゃんと決めてる。

でもそれを大っぴらにすると反感を買うし、
人間の嫉妬ってほんと怖いから、そういう余計な対応で
時間を使わなくてもいいように、”見せ方”を工夫してるんですよね。

文章の書き方、伝え方、話し方、
すごく細かいところまで気を配ってるし、
それを常にやっている。

自分のコンディションがいい時だけだったり、
ある程度信頼関係が出来ている人にだけ
できるようではダメで、それだと人によって見える姿が違うから
メッキが剥がれちゃうんですよ。

無理なく自然に、それでいて完璧に見せられるからこそ
すごい人はすごい人であり続ける
んだなぁ…と。

的を得た痛い言葉を受け止められるかどうか

ここから先は余談になるんですが、
えこひいきされてるのって、
気付けなかったりするんですよ。

特に、人間って耳が痛いことをズバッと言われると
防衛本能というか、
否定されている自分を無意識に守ろうとしちゃうんですよね。
特に、そういう人たちって本質をつかむのがうまいから、
ズバズバくるんですよね。

ぼくも最初は愛あればこそだと気付けず、
耳を傾けていた気になってたもんです。

んでも、そういう言葉って、
誰に対してでも発せられるものではない
んですよね。

GACKTさんのブロマガにもちょうどそのことが
載っていて、タイムリーなので引用します。

そこからは多くの人生の先輩が
走り方を教えてくれたり、
時にはケツを叩いて
叱咤激励しれくれたりもする。

彼らの言葉はとても厳しくマトをえたもので
時には痛烈な痛みを感じることさえある。

だが、
それらの言葉が
誰に対してでも発せられるモノではないということを
しっかりと認識できれば、
彼らのどんな言葉にも耳を誠実に傾けようと
自然と心の扉を開いている自身にも気づく。

※GACKTオフィシャルブログ GACKT.com より転載

ちょっと成功したり実績ができたぐらいで
天狗になって人の言葉を聞き入れなくなると、
当然成長は止まるし、えこひいきもされなくなるわけです。

えらい人、すごい人に、謙虚だったり腰が低い人が多い理由って、
そういう要素もあるんだなー
と思った。

OOK86 kianubocchi20150112162321 TP V

最後に

本題に戻ると、
見せ方がうまい、というのは、
自分自身がその立場に行かないと気付けないな
、と。

そういう人たちと関われることに感謝して
GACKTさんもおっしゃっるように
真摯に聞けて自分のものにできるようになると
大きなチカラになる。

こういう類のことって、気付いた時に言語化して
あとで読み返すと、気付いて行動したことで
さらに得られたものも見えてくるので面白いんですよ。

というわけで、すごい人やえらい人は見せ方がうまいし、
そっちの世界へ行きたい人は必須スキルだと思った話でした。

さて、それでは今回はこのへんでー!

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